1609年に薩摩の島津氏による琉球国侵攻ののち、1611年には与那国島で検地が行われました。そして人頭税と呼ばれる税制がはじまりました。
これは納税額を人の頭数で割ったもので、米などの農産物のほか布、縄、畜産品や魚介類などが納められました。このうち主に女性が担ったのが布といわれています。
写真の崎原タマさん(1875-1964年)が語るように、大変過酷なものだったそうです。
この困難な労働のなかで、花織などの高級品が製作される一方、島民は簡素な造りのドゥタティ(作業着)を身に着けました。
ドゥタティは、今日でも折々の行事で愛用されています。